ニュース中心に好きなだけ突っ込んでみるる


by majilife

そろそろ憤る材料も出尽くして、ここから。

当日の事件だから分かるはずが無いという意見もあちこちで見られたが、関係者でなくても茶の間でテレビを見ているだけで、正午前に大変な事故である事は分かる状況だったんで、奇妙な意見だと思っていた。

やっぱり知ってたわけね。

<尼崎脱線事故>ボウリング 疑問の社員「言いづらかった」
 参加した43人全員は集合前から、社内一斉放送などで脱線事故が発生していることを認知。うち13人は、自宅のテレビや同僚らのメールなどで、死傷者が多数出ている重大事故と認識していた。しかし、そのことを他の参加者には伝えず、中止を求める社員はいなかった。若い社員が多く、「先輩への遠慮があって言わなかった」などと説明している。
 事故の重大性を認識していた13人のうちの5人は懇親会にも出た。幹事は懇親会を中止しなかった理由について「30人分を予約していたので、キャンセルしにくかった」と釈明しているという。


これらの事実を報道したり責めたりしたところで、今回の事故とは直接関係のない部分だから、無意味ではないかという話も出ている。

確かにそういう意見が出るのも分かる。責めるだけで、その先に何があるのかと言われればその通りだ。

遺族でもない人間が正義面で責めるのは見苦しいと言われれば、確かに私自身のここ数日のブログの内容は痛い。

だが、このボウリング大会の件は、事故と深い繋がりがあると考える。

感情的にならずに、先のある話をするよう心がけて、この事件について語ってみよう。

誤解を恐れずに言えば、ボウリング大会が、事故の当日であった事は、JR西日本にとって幸いであったと思う。

もしも事故の当日に企画されていなければ、JR西日本の体質として染み付いた問題にまで光が当てられる事は無かったのだから。

ボウリング大会の件から見えてくるのは、社内向けの都合が常に優先する意識だ。

重大な事故と認識していながら、「目上の人に言いづらかった」というのは、社内の都合が公に対する責任に優先しているわけで、これがJR西日本にとっての常識だという事だ。

自分が属する世界での常識に染まるというのは、そういう意味で恐い事でもある。

まあ、だからと言って、以前私が書いたように、スカッと会社を辞めてしまうというのも、全ての人に出来る事でもないし、やるべき事でもない。

私の場合、そういうい生き方になるし、そういう提案になるというだけで、別にJR西日本の職員が全員ヤメなきゃ解決しないという意味ではない……が、そういう意味に取る人も居たようだ。

と、話を戻して……。

社内の都合が優先する意識がさらに強く現れていたのが

懇親会を中止しなかった理由についての幹事の釈明である。

「30人分を予約していたので、キャンセルしにくかった」

幹事という立場だと、会社と自分がイコールに近づく。

幹事というのは、個人ではなく、その場面での会社の顔にもなる存在なので、会社の都合が優先するという態度がより強く現れる事になるのだ。

考えてみれば、釈明になりようのない釈明だ。

重大な事故だと知りながら、
被害者、利用者への配慮よりも、先輩への配慮が優先し、
懇親会にまで出てしまう人が
13人中5人居る。

という事態が異常だと感じる人が多いだろうし、憤りを感じる人も多いだろう。

だが、これを、個人個人の異常さであると捉えて、関係した人間を処分しても、問題は解決しない。

これは会社の体質が異常なワケで、その異常な世界で仕事をしていれば、個人としては異常な事が正しい事になってしまうのだ。

自分がJR西日本の職員だったら、自分だって同じ事をやってしまう可能性が13人中5人分ぐらいはあるのだという意識は持っておいた方が良い。

昔から良く語られる話だが、

ナチスのユダヤ人強制収容所で、ガス室のボタンを押して一度に大勢のユダヤ人を葬る看守も、家に帰れば優しい夫であり父親だった。

人間というのはそういう動物だ。

悪徳金融や、悪徳美容サロンなどで働けば、やはり真面目に悪事を働き、しかし、個人としては真面目な良い人だったりするのだ。

だから、注意しなければならない。

特にJR西日本は多くの利用者がある公共交通機関である。

そういう組織が問題を起こせば、これは私企業としての影響範囲を大きく超えて、社会的な問題となる。

だからこそ、ここまで大きな事件にもなるし、無意味と思えるほどマスコミの報道も過熱し、ヒステリックにもなる。

ひとたび問題が発生すれば、徹底して叩かれるというのが公共交通機関である。

それは社会の中での重要な役割を担っているからに他ならない。

今のJR西日本ではその役割を担うにふさわしいとは言えない。これを機会に良い方向へと変わって頂きたい。

また、個人に対しては、組織に埋没しがちな性質をもった人間という動物ではあるが、それでもやはり、勇気をもって大切なものを守ってもらいたい。

今回、おそらくは事故現場に居合わせた運転士2人が救助活動を手伝ったとしても、マスコミは誰一人褒める事もなかったろうし、むしろ罵声を浴びせたかもしれない。

その上、社内的には出社が遅れた事でその分の給与をカットされ、日勤教育も受けさせられる事になったかもしれない。

だが、それでも自分の中の何か大切なものは守れたと思うのだ。

ボウリング大会に参加していた人の中に、重大な事故のようだから、大会は中止しようと進言する人が居たら、その人は「目上に配慮がない」としてひんしゅくを買ったかもしれない。

その上、ボウリング大会が中止になるのは「当然」なので、報道される事もなく、誰からも褒められないばかりか、社内的には気まずい立場になってしまうかもしれない。

だが、それでもやはり、大切なものを守る価値はあると思うのだ。

もちろん、これは私の価値観であり、全ての人がそう思わなくてはならないという事では無い。

ただ、その場に、そういう価値観で生きるべき人が、最低一人は居合わせていると、私は信じている。
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by majilife | 2005-05-06 19:48 | 怠れば全身バカになる