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by majilife

ことば遊びの果て

複数の自分を感じるなんて、当たり前の事で、高校生ぐらいでそういう自分を感じないんだったら逆に発育に問題があるんじゃないかと思うぐらいだ。

でも、どういう訳だか、複数の自分を感じるという事が特殊な事であるかのように報道される。

2人の自分いる 逮捕の生徒、犯行直後話す
 高知県土佐市の明徳義塾高校で3年の男子生徒(17)がナイフで刺され大けがをした事件で、殺人未遂の現行犯で逮捕された同級生の男子生徒(17)は教諭らに取り押さえられた際「2人の自分がいるみたい」と話していたことが分かった。吉田圭一校長らが1日、記者会見で明らかにした

大げさに報道されるものだから、ますます「特別な事」なのだ、「異常な事」なのだという意識が育つ。

で、勝手に孤立感をもって、鼻持ちならない「逆優越意識」な人間になっていく。

孤立への悪循環が止まらない。

「2人の自分がいるみたい」

なんて、誰でも感じた事がある、当たり前すぎる感覚だ。

それを「異常な事」であるかのように取り上げるのは何故だ?

深く考える事もなく、自分の過去の経験も感覚も無視して、方程式のように決めつけているのではないか?

「透明な自分」だとか、「2人の自分がいるみたい」だとかって、

そういう言葉自体には問題はないのだ。

そういう感覚が、他人には理解してもらえない特殊な感覚なんだと勘違いしているという状況が何から生み出されているかってところに問題は存在する。

「あ、お前もそういう事思う?」

って、いつも馬鹿騒ぎしてる奴が真顔で語ってしまったり、そのあと気まずそうに照れてたり。

そういう、自分以外の人も同じような事を感じて生きているんだって、実感を持てるような交流がないってのがね……。

なんというか……。

一人で弄ぶ「言葉」ばかり発達して、言葉だけは大人っぽいんだけど、よく聞いてみりゃあ言葉に心が振り回されて、言葉にならない細やかな感情が消えてるだけ。

「言葉」は互いをつなぐコミュニケーションの道具だってのに、一人遊びの道具にしてたら勘違いする。
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by majilife | 2005-07-02 09:08 | 俺の側で愛を叫べ